2004年1月30日金曜日

たったの2通?

クリントン前大統領の送信メールは「4000万分の2」
ITMediaニュース

意外にもというか、いややはりそうなのだろうか。記事の信憑性は兎も角として、忙しい大統領がメールを打っている暇なんて無いだろう。でも、二通の内一通はテスト送信などと書かれているところで、ネタのような気もしないではない。アメリカンジョークだ。(笑)
この国の首相は「らいおんはーと」と称して一体何通のメールを投げているのだろう。
パフォーマンスは立派だが、国民は利を被っただろうか?そろそろ実を結んだ果実を見せてもらいたいものだ。

2004年1月29日木曜日

ブログの効用

g8wqc1eo.JPGインターネット業界に従事し、日頃インターネットからの情報を中心に生きているわけだけど、それだけじゃない可能性というのを感じている。
もちろん、仕事としてクライアントに企画を提案する立場にあるのだから、常に技術的な面や広告媒体としてのインターフェース的な面の有効活用は考えている。
でもそれはそれとして、仕事を土返しした領域での可能性。簡単に言えば、「コミュニケーション」の底知れない可能性を。

そもそも自分がインターネットに興味を抱いたのは、NHKで内戦下のユーゴスラヴィアに関する特集を観たのがきっかけだった。つい昨日までは普通に接していた隣人と殺し合うという状況、それを女子高生がインターネットに日記という形で綴った。それに対して、全世界から反響が届いたという事が紹介されていた。それを観た瞬間、インターネットの底知れない可能性を感じてしまったのだ。
世界が繋がっている。誰もが発信者になれる。地球の裏側にいても、ほぼリアルタイムに意志を通じ合う事さえ出来てしまう。理想主義的かもしれないが、そう感じた。

それでもって、ふと現在の状況を見てみればいつの間にかブログが広まり始めて、誰もが発信者になるという事が、簡単に出来てしまう状況にある。しかも、トラックバックという全く新しい概念が組み込まれた事によって、増々面白くなってきた!

2004年1月27日火曜日

You and Me

6iq6joux.JPG「最近どう?」
「別に」

2004年1月25日日曜日

睡眠欲

今週は仕事が忙しく平均3時間睡眠という有り様だった。
寝なくて済むのならそうしたいのだけど、睡眠を取らない事には頭の回転も鈍るし、何とかならないものかな。

先日、「生き方上手」というベストセラーで有名な日野原重明さんがテレビの密着取材に出ているのを観た。
90歳を超えるというのに本当にお元気で、しかもよく働く。
僕が特筆したいのは、その密着取材中は執筆で朝方まで起きていたのだが、1時間ぐらい寝てまたすぐに元気に活動していた!ということ。
氏に「どうしたら短時間の睡眠で元気でいられるのですか?」と問うてみたい。

睡眠欲は、マズローの欲求では一番下の生理的欲求だけど、眠くても自己実現のために頑張れるし、安定した生活を考えればお金も欲しいし、自分の中ではマズローの段階説に対する疑念が沸いた一週間でもあった。

2004年1月17日土曜日

信州2

長野県の田中康夫知事が名刺に「信州知事 田中康夫」と記載した。
Yahoo!ニュースより

正式な改称は難しくとも、事実上の改称を目指すと言う。
僕は田中康夫のファンじゃないけれども、その試みが好きだ。
おそらく観光事業の活性化に繋がるのではないだろうか?
名前を変えるだけで、何か新しい服に着替えたような、そんな印象を覚える。

火星でJava活躍!?

1月16日、Yahoo!ニュースのそんなタイトルの記事が目に飛び込んできた!
火星探査車の操作にJavaの技術が使われているということなのだが、個人的に感慨深いものがある。
昔SEとして働いていた時期があり、その当時さほど注目されていなかったJavaの技術と思想的な部分にとてつもない魅力を感じていた。
そして、C言語による開発を控えていたにも関わらずJavaに熱中し、SE仲間や友人にJavaは凄い!絶対来る!と勝手に吹聴していたのだ。(笑)
友人は「Javaねえ。」とぬかし、まるで新しもの好きのミーハー野郎扱いだった。
しかし、そら見た事か!Javaは確実にデファクトスタンダード言語となりつつあり、宇宙開発にまで及んでいるのだ。

(あり得ないとは思うが)サン・マイクロシステムズの一人勝ちのような状況は好ましくなく、マイクロソフトの牙城を崩し始めた現在の状況が何かと健全なのかもしれない。
そして、企業の利益とは関係のないところで開発プラットフォームが超越されていく事が、多くの開発者にとって理想なのではないだろうか?

2004年1月14日水曜日

LOVE FOR SALE

73hdfx03.JPG街でこんなものを見掛けた。
何を売ってるんだろう?
オブジェそのもの?
しかも切り売り?
それともカラダのバラ売り?
部分マッサージ?
新手のファッション?
腕と足は売れてしまったのか?

答えは分かっていても、自由に想像を含まらせれば世の中面白い。

2004年1月13日火曜日

地球が回る音を聴きなさい

この連休、当初から観に行こうと思っていた「YES オノ・ヨーコ展」に行ってきた。

僕のオノ・ヨーコ開眼の契機は、7年前「グレープフルーツ・ジュース」をに手に取ったことだ。
写真が好きで、その当時仕事でも写真に関わっていた僕は、写真が載っている文庫本に興味が沸き、何気なく手に取ってみたのだった。
そして次の瞬間、その詩のような命令調の言葉の虜となってしまった。(笑)
今でもたまに適当なページを開いては、脳の活性化を図っている。

さて、今回の展示会も「グレープフルーツ・ジュース」同様、脳味噌を刺激し、想像力と創造力を大いに掻き立ててくれるものだった!
現代アートだからと言って、難しく考えたり構える必要はない。彼女のインストラクションに従えば、自ずと何らかの開眼が起こるはずだ。

展示物に「テレフォン・ピース」というものがあった。
ただ無造作に電話が置いてあるというものだが、なんとオノ・ヨーコから不定期に電話がかかってくるというのだ。
鳴る瞬間を逃すまいと耳を澄ましていたが、その日、かかってくる事はなかった。(笑)

2004年1月11日日曜日

フリーペーパー雑考

e618sn4a.JPG出版業界が厳しい状況の中、売り上げ?というのだろうかフリーペーパーはシェアを広げている。
無料というのはやはりほとんどの人にとって魅力的である。しかも、営団地下鉄で配られている「メトロポリターナ」や「メトロミニッツ」はその広告だけど広告を感じさせない編集が見事だ。
読者の立場からすると、お金を払わなければならない情報誌に較べて、よっぽど得した気分になれる。

「■■マーケティング研究所■■」の筆者は「フリーペーパーは有料雑誌を駆逐する。」と書いているが、一方でいずれ有料化するだろうと予測している。
僕はそれが一部のケースに当てはまるとしても、大部分においては当てはまるとは思わない。フリーペーパーの魅力はまさにフリーにあるからである。有料になった途端、魅力は半減してしまうものだ。それが人間の心情というものである。ターゲットが絞られている雑誌であれば、有料化も可能かもしれないが、フリーペーパーは大部分において不特定多数に向けた情報誌である。無料に魅力を感じて手を伸ばしている読者がターゲットなのだ。それが証拠に、掲載されている情報は広く雑多である。

このブログを発信しているインターネットというメディアにおいても、情報はタダで手に入るという常識が浸透してしまった。
一部の情報を除いてほとんどの情報が簡単に手に入ってしまう。それはユーザーとして喜ばしいことであるが、生業としている立場からすると、何とかならないものかという複雑な気持ちが起こるのが正直なところだ。

asahi.comに呉智英氏の興味深い記事があった。氏も出版は割りに合わないという認識のようだ。

2004年1月9日金曜日

クリエイティブ歩道

uwt7qs7h.JPG僕はWEB制作に携わっており、写真のメガエージェンシーに訪問する機会が多い。会社が近くにあるもので歩いて訪問するのだが、途中大通りがあり、信号が3本もある複雑な横断歩道を渡らなければならない。
実はそこが面白いのだ。ふと気が付くと、自分と同じようにメガエージェンシーに向かうクリエイター風情ばかりが目に付くのである。いわゆる社会人と異なる人々とばかりすれちがえるのは、きっとその横断歩道だけだろう(笑)。

不思議なもので同じ匂いがするものである。 独特の空気が流れる横断歩道。歩いてみてはいかがですか?

「私の愛は死なない」

イギリスで、亡き夫の凍結精子を使って子供を産んだ女性の言葉。

男が愛する女性とのセックスで射精するとき、果して子供が欲しいと考えているのだろうか?
もっと本能的に射精しているように思う。子孫を残すという、動物的な、遺伝子に組み込まれた記憶に従って。もちろん子作りのためのセックスの話し。
この場合快楽のためのセックスは除外。
そして、子供が欲しいと思う気持ちは女性と根本的に違うような気がする。

上記の女性は夫の子供が欲しかったと語っている。愛する人との子供。
そこには子孫を残すというよりは、愛と母性本能が働いているのだろう。

死んでしまった男性の精子により子供を産むという、ある意味人を生き返らせるようなショッキングな行為。
その狂気的な愛に、男女の感情の違いを感じてしまった。

2004年1月7日水曜日

自由な心

僕は学生時代に音楽に触れ、それ以来音楽は人生にとって必要不可欠なものとなった。
ロック、ジャズ、クラシック等々幅広く聴いてきたけど、結局心の奥深くに届いてくるのはシンプルな楽曲だ。そう言える。

このところ気に入ってずっと聴いているアーティストにアン・サリーがいる。
ボサノバ、ジャズ、歌謡曲、ロック等何でも歌いこなしてしまう実力派。現在のテクノロジーを使ったようなリズムや派手な装飾はない。至ってシンプル。楽器と歌声があるだけだ。
彼女の歌声はよく癒し系などと評される。
でも僕にとって彼女の歌が魅力的なのは、歌に自由を感じるからである。
オリジナルはなく、全てカバー。しかもほとんどがジャズやボサノバという選曲だけど、そこに時代を創ってきたミュージシャンのように歌おうという気負いは感じられない。そこに彼女の伸びやかな自由な心を感じるのである。

彼女の歌を聴いていると、知らないうちに頑なになっていた心が解される。それは僕だけじゃないはずだ。

2004年1月6日火曜日

信州

xj6ymwmm.GIF長野県の田中康夫知事が、「長野県」から「信州」へ名称の変更を検討しているらしい。
確かに「信州」という呼称は広く浸透しており、どこか風情も感じさせ、「長野県」よりも良いのではないかと思える。
「都道府県の名称変更は、県民投票で過半数の同意を得たうえで特別法を国会で制定する必要がある。」とのことだが、実現されれば面白い。
こういった事が実現されれば、日本も捨てたもんじゃないと思えませんか?

2004年1月4日日曜日

家族

正月と言えば、普段離れている家族や親戚が集まる。
久しぶりに会う感慨で、良い雰囲気が生まれるものである。
そんな事を考えている中、「はじめてのおつかい」というテレビ番組を観た。
三つ四つの子供におつかいを頼んで、その様子を眺めるという単純なものだ。
これが何故か意外に感動を誘う。
思うに、映像を観ているうちに親の子を想う心を感じ、子供の不安な心情を自分の小さな頃と重ね思い出し、そこに家族愛を感じるからではないのかと。

人が一生を生きていく間には様々な人に出会う。
そこに友人や恋人もいれば、自分に対して恨みや憎しみを抱いた人間もいる。
ただ、それらの感情を全て度外視した愛情が常に存在するのが家族なのだろう。

思い掛けなく、テレビ番組からそんな事を再認識させられた正月だった。

2004年1月1日木曜日

A Happy New Year

n67wb3rn.JPG年々、日本の正月らしさというものがなくなっていくが、年賀状という習慣はなくならないだろうな。人には時間の感覚があって、もの事を整理するには区切り目が必要だから。年賀状はそのツール。

クリスマスから正月にかけての思い出は、幼い頃の記憶が多くを占めるのではないだろうか?幼い頃の暖かく包まれていたイメージ。。。

 

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