2011年5月5日木曜日

地震、経済、電力、発想を豊かに!

日本は今回の地震で、ボディブロー的にジワジワと経済的な打撃を受け、厳しい時が続くだろう。だからこそ、それを正面から見据えて経済活動に取り組まなければならない。

特に今年の夏は、原発の停止により、電力供給が不足し、経済の中心である東京を含む地域が生活への影響を受けることになる。それが消費活動にも影響を及ぼすかもしれない。発想の転換で、新しいビジネスを生み出すチャンスでもある。

自然の脅威のパワーで破壊された東北地方の復興には、この悲しみを忘れてしまうほどの年月が必要になるだろう。だけど、これを地方の在り方を見直す機会と捉え、復興ではなく新しい産業の創世にあてるべきだと思う。余談かもしれないが、イタリアはファッション、家具はミラノ、革製品はフィレンツェ、車(フィアット)はミラノなど、地方が産業の中心となり、首都のローマを経由せずに海外と直接繋がっている。これは一つのヒントになるのではないか。

電力エネルギーの見直しは、何か一つに絞るのではなく、ベストミックス型を目指すべきだ。太陽光や風力を活かした良く知られた電力もあるが、天然ガスや地熱やバイオマスといった選択肢が他にもいろいろある。一般の日本人が知らないところで、海外の自然エネルギーは日本のメーカーの技術が活用されている。それを日本に活用しないでどうする!

「問われる日本のエネルギー将来像」(WSJ日本版)


海の向こう、中東、北アフリカでは遂に独裁に対する反逆の狼煙が上がった。近い将来アフリカの時代が訪れるだろう。どんな新しい仕組みが出来上がるのか楽しみだ。もちろん現代の欧米先進国型の資本主義に変わる新しい経済システムを期待する。FacebookやTwitterなどのソーシャルメディアが活用されているのは象徴的なポイントかもしれない。アフリカの文化が世界に広まるのもワクワクするほど楽しみだ。西洋的な音楽ばかりでは辟易してしまうのは僕だけだろうか。僕はアフリカの鼓動のようなリズムに惹かれる。

情報インフラとしての側面が大きいけど、インターネットの発達は、従来の資本主義を破壊する可能性を秘めていると感じている。大衆はマスの情報に支配される世界から解き放たれ始めた。個々が知りたい情報をいつでも自由に得られる世界。それは、全く新しい時代だ。それと共に膨大な情報から自分にとって重要で必要な情報を見極める能力が求められる。グローバリゼーションという言葉の定義も変わっていくのだろう。物理的な位置に縛られない、経済活動と考え方のグローバリゼーション。またそれとは相反するように地域に根差した活動は活発になるだろう。一極集中の意味が無くなるからだ。個々が自分の心に従って生きやすくなる世界、理想的な世界じゃなかろうか!

2011年4月17日日曜日

電子書籍の行方

結局、インターネット上の情報との差がポイントになってくる。

適したデバイス、オフラインで読めること、
人間の頭で整理しやすいパッケージになっていること。

インターネット上の情報(ex.ブログ)と異なる点

・パッケージであること
・自分の所有物であること(部分マーキング、個人DB化、個人書庫としての整理)
・オフラインでも読めること

と言っても、ブログ記事をキャプチャしてしまえばほぼ同じことは出来るのだが。。

オフラインで読める事は条件であって、通常はオンラインで、分からない単語が調べられたり、
自分のオンライン上のメモ、例えばEvernoteなどと連携できる事も求められるだろう。
TwitterやFacebookで仲間に共有することも。

今後電子書籍が普及するかどうかは、軽くて、操作にストレスを感じさせない
デバイスの登場が最も重要なキーになるはず。
操作性=直感的なナビゲーションも重要。
先日触ったWIREDも、操作性ではもう一つ足りない。

紙の本が少なくなれば選択肢として、電子書籍が選ばれることになる。
デバイスの進化と共に近いうちにその大逆転が起こるだろう。

本好きには寂しい話だが、書店は減っていく。
紙の本は貴重なものとなるのだろう。

2011年3月20日日曜日

上を向いて歩いて行こう

春が近づき、今日も穏やかな日差しに包まれている。
何ごともない平凡な日々ならば、こんな日はリラックスしてドライブや食事に出かけ、
日が沈むことを残念に思ったことだろう。

僕が住む横浜はほとんど被害もなく、ほぼ平常の生活を営むことが出来ている。
今のところ家にいるときに停電にも見舞われていない。

僕が浪人時代を過ごした仙台は惨事に見舞われ、太平洋側の東北各県は
とても言葉で言い尽くす事の出来ない状況にある。
すぐ近く、山形の実家や鹿嶋の奥さんの実家は停電だけで済んでいる。
それが僕の心にとってせめてもの救いだ。。

助かった人たちが一刻も早く、前に歩き出すことが出来るよう、
僕たちはそれぞれに出来る役割を果たし、これまで以上に頑張らなくちゃならない。
そして、元気のない日本をもう一度立ち上がらせるべきだ。

直前に起こったニュージーランド地震で被害に合った方もいる。
リビアの情勢は益々悪化の途を辿っている。
シリアでも遂に民衆が動き出した。
こうしている間も、世界は動いている。

僕たちは、立ち止まることが出来ないのだ。

2011年2月27日日曜日

ヒア アフター 〜死を乗り越えて未来へ

クリント・イーストウッドのヒア アフターを鑑賞。
※ネタばれあり


この映画は三つの物語が同時並列的に展開、クライマックスで交錯することになる。
以下三つの物語について。

先ずは冒頭の迫力のあるリアルな津波のシーンで一気に映画の中に引き込まれる。
そして、主人公の一人マリーが自身の経験を通して死と向き合っていくこの物語の軸が、
その映像のインパクト共に強く意識させられる。
この時点では、手をつなぐという行為が、一際重要な意味を持つ事にまだ気がつく事はない。

マーカスとジェイソンの双子の兄弟は、明るいお兄さんと引っ込み思案の弟という
対比でその性格を印象づけ、その後のマーカスの存在をうまく演出している。
その悲劇ゆえに。

ジョージはその登場からすぐに、過去を抱える男であることが見て取れるのだが、
それは影で表現されていて、自然にそれと捉えられる。これもまた巧い。
そして、その影の元となる特殊能力は、手をつなぐという行為にリンクしている。


三者三様、一見何の関わりもない物語が何らかの形の“死”でリンクしている。
死をどのように受け止め、どのように向き合うか、
それがこの映画のテーマであり問いかけだ。
霊能力が取り上げられているが、それは主たるテーマではない。

ほとんどの人間が悲しいものとして捉える人の死、
そこには何かしらの後悔や、生きていく上で背負っていくものが含まれ、
それらとどう向き合うべきか、ビターな問題提起がある。
僕はまだ自分の心に大きな影を落とす死に直面したことがない。
ゆえに、残念ながらこの問題提起に対しての実感的な解は持たない。
その悲しみや重さを想像するだけだ。

劇中、印象に残ったジョージの言葉がある。
「全て見(え)ない方が良い場合もある」
見たくなくとも全て見えてしまうジョージの苦悩を表現した言葉だが、
人と人の繋がりにおける示唆を含んでいると解釈した。
死は無ではなく、見えなくなること。

ジョージの能力を引き出す“手をつなぐ”という象徴的な行為は
まさに人と人の心の交流のメタファーだと感じた。
そして劇中、印象的なシーンで“手がつながれる”。
最後に用意された美しい瞬間に僕の涙腺は緩んでしまった。。


死を題材としながら、イーストウッドが訴えかけるメッセージは、
人との繋がりを大事にして前を見据えて“生きる”ということだ。
hereafterは来世と訳されることもあるが、
この映画の意味するものは未来だろう。
僕はそう受け止める。


ヒア アフター

2011年1月9日日曜日

スマートフォンは誰のためのもの

スマートフォンという言葉が巷に飛び交っているが、
その周りのビジネスも含め、語られる論調にどうも違和感を覚えている。

スマートフォンは確かに便利だけど、都市部で生活しているから便利なだけであって、
田舎での生活にはそれほど役に立たないと思うのだ。
決定的な違いは移動手段が電車か車かという点。
都会生活では意外と移動時間が長く、JRや私鉄、地下鉄網が整備されているため、
それらを利用する事が多く、目的地に着いてからの歩く距離もそれなりにある。
そんな生活スタイルの中でスマートフォンの機能は多いに役に立つのだが、
田舎では車で目的地まで移動する生活スタイルで、都会の人ほど歩かない。
移動しながら何かを調べるのではなく、移動する前に調べなくてはならない。
何もこの1点だけで全てがそうであるとは言えないとは思うのだが、
移動しながら調べるか移動する前に調べるのか、この違いは大きいと思う。

まあ、スマートフォン的なツールで言えば、タブレットPCがあれば便利だろう。
家で調べてそれをそのまま持って行けば良い。車の移動だからポケットに入るサイズである
必要はなく、iPadぐらいのサイズであれば何の問題もない。

田舎の生活では、せいぜい電話とメール、写真が撮れればいい。実際ほとんどの人がそうだ。
それは自分が田舎の生活も都会の生活も知っているから、そう言える。

それから、都会であっても主婦や子供、老人にとってはスマートフォンは
機能/情報過多に違いないだろう。ガジェット好きや新しいモノ好きの人は別として。

僕はiPhoneもiPadも持っていて、この都会生活の中で多いに活用しているが、
最近よく名前を聞くような名のあるジャーナリストが語っている内容にはどうも違和感を覚える。
それはあくまでも都市部の生活で成り立つことを語っていて、“日本”にあてはまる
内容ではないからだ。



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