2011年2月27日日曜日

ヒア アフター 〜死を乗り越えて未来へ

クリント・イーストウッドのヒア アフターを鑑賞。
※ネタばれあり


この映画は三つの物語が同時並列的に展開、クライマックスで交錯することになる。
以下三つの物語について。

先ずは冒頭の迫力のあるリアルな津波のシーンで一気に映画の中に引き込まれる。
そして、主人公の一人マリーが自身の経験を通して死と向き合っていくこの物語の軸が、
その映像のインパクト共に強く意識させられる。
この時点では、手をつなぐという行為が、一際重要な意味を持つ事にまだ気がつく事はない。

マーカスとジェイソンの双子の兄弟は、明るいお兄さんと引っ込み思案の弟という
対比でその性格を印象づけ、その後のマーカスの存在をうまく演出している。
その悲劇ゆえに。

ジョージはその登場からすぐに、過去を抱える男であることが見て取れるのだが、
それは影で表現されていて、自然にそれと捉えられる。これもまた巧い。
そして、その影の元となる特殊能力は、手をつなぐという行為にリンクしている。


三者三様、一見何の関わりもない物語が何らかの形の“死”でリンクしている。
死をどのように受け止め、どのように向き合うか、
それがこの映画のテーマであり問いかけだ。
霊能力が取り上げられているが、それは主たるテーマではない。

ほとんどの人間が悲しいものとして捉える人の死、
そこには何かしらの後悔や、生きていく上で背負っていくものが含まれ、
それらとどう向き合うべきか、ビターな問題提起がある。
僕はまだ自分の心に大きな影を落とす死に直面したことがない。
ゆえに、残念ながらこの問題提起に対しての実感的な解は持たない。
その悲しみや重さを想像するだけだ。

劇中、印象に残ったジョージの言葉がある。
「全て見(え)ない方が良い場合もある」
見たくなくとも全て見えてしまうジョージの苦悩を表現した言葉だが、
人と人の繋がりにおける示唆を含んでいると解釈した。
死は無ではなく、見えなくなること。

ジョージの能力を引き出す“手をつなぐ”という象徴的な行為は
まさに人と人の心の交流のメタファーだと感じた。
そして劇中、印象的なシーンで“手がつながれる”。
最後に用意された美しい瞬間に僕の涙腺は緩んでしまった。。


死を題材としながら、イーストウッドが訴えかけるメッセージは、
人との繋がりを大事にして前を見据えて“生きる”ということだ。
hereafterは来世と訳されることもあるが、
この映画の意味するものは未来だろう。
僕はそう受け止める。


ヒア アフター
 

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