2005年12月19日月曜日

ある子供

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この映画はケン・ローチの映画を思い起こさせる。
ダルデンヌ兄弟はケン・ローチと同様に弱者に目を向け、暖かい眼差でその実態を描いている。
エンターテイメントからかけ離れた内容だけど、そこにはリアルな若者の実態があり、
人間の感情がありありと描かれていた。

日本では、未だぬるい人生を送っていこうと思えばそうすることもできる。
不況に陥ろうが貧富の差が少なく、親に甘えることができる平和な国なのだ。
しかし、ここで描かれるベルギーでは生ぬるい生き方なんて送れない。
ある程度の年齢に達したら自分の力で生きていかなくてはならない。
未熟な精神のまま。

その未熟な精神の子供が、自分の浅はかさや社会の厳しさに直面しながら
成長していく様子が感動的に描かれている。
シンプルだけど、心に深く訴えてくる映画だ。

2005年12月13日火曜日

坂本龍一 ピアノソロコンサート

坂本龍一のエレクトリックサイドはどうも好きになれないのだけど、
アコースティックサイドは好きだ。
今回、ピアノソロコンサートということで、そのアコースティックサイドを期待しつつ、
オーチャードホールの前から13列目という好ポジションで鑑賞。

本人も語っている通り、コンサートは緊張した演奏で始まった。
教授のああいった姿を見られるのも珍しい。
しかし、お香をたいたり、のんびりとしたMCが繰り広げられるうちにいつの間にかリラックスムードに。
背景に映し出される抽象的なイメージと相まって、独特の空間を創り出して行く。
初のソロコンサートということもあってか、ぎこちなさは最後まで続くのだけど、
一つ一つの演奏は自然体に近い演奏で、期待を裏切らなかった。
ピアノ1台(2台)ということもあって、引き出しの多さがかえって引き立ったし、
創造することの楽しさが伝わってきた。
難を言えば、ぎこちなさというところにあるのかもしれないが、曲と曲のつながりが
今ひとつ気持ちよく感じられなかった。ある部分においてはスムーズに身を任せられたが、
大部分において、居心地の悪さみたいなものを感じた。これは個人的な感想だから
人によってはあの順番でしっくりくるのかもしれない。
しかし、客電が点いても拍手が鳴り止まなかったのだから、素晴らしい演奏には違いない。

こういった演奏にもっと日常的に触れられる生活がしてみたい。


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 サカモトです。
 
 ピアノソロツアーがはじまりました。
 初日は緊張で舌(指)を噛みました。(泣)
 しかし、思いのほか評判が良く、安堵しております。
 ジョアン・ジルベルトの境地を目指して、精進いたします。
 以上。


 坂本龍一
 
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2005年12月11日日曜日

床にあるドア~未亡人の一年

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アーヴィング自身による脚本の映画を先に観た。
確かにある意味においては本人が満足しているのもわかる。
「未亡人の一年」という作品をすべて映像化することは、ほぼ不可能な話だろう。
そういった意味で、原作の3分の1の映像化には成功している。
しかし、原作を知らずにこの映画だけを観た場合、「?」と思わざるをえない。
「床にあるドア」というメタファーが表しているものは確かに提示されているのだけど、
そこで映画が終わってしまうため未消化な部分や、喉に何か詰まっているような
気持ちの悪い感覚が残ってしまうのだ。
「だから、何を言いたいのだ」と。

すぐに原作を読んでみた。久々にアーヴィングを読んだけど実にアーヴィングらしい
パワフルな現代の寓話が綴られていると思った。
そして、映画よりもなんと面白いことか。
確かにこの物語の重要な部分を含んでいるとはいえ、映像化されたのは
あくまでもプロローグであり、その後の展開にアーヴィングの物語の真骨頂がある。
登場人物はそれぞれに心の一部に欠けた部分を抱えながら生きていく。
しかしアーヴィングはそこだけを描いて重苦しく暗い物語にすることはしない。
必ず人生の悲喜こもごもすべてを物語に注入する。
だからこそ表情豊でパワフルな物語になるのだろう。

アーヴィングの作品にはいびつで不器用な人物が登場し、解決することのない問題を
抱えながら生きている。人間のグロテスクな部分を決して隠したりはしないし、
どんな人生にもユーモアという要素があるということを示してくれる。
読んだ後はいつも、パワフルに生きなくてはと思わせてくれる。

 

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