2012年11月23日金曜日

ランス・アームストロングという生き方


心ない人との闘いに貴重な人生の時間を費やし、大切な人たちまで傷付けてしまうより、
闘いから身を引くことを選んだ彼の気持ちは痛いほど伝わってくる。。


以下「考える人」メルマガからの引用
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ランス・アームストロング
『ただマイヨ・ジョーヌのためでなく』(講談社文庫)

癌が僕に教えてくれたこと

 先週は、人類初の月面着陸をなし遂げたアポロ11号のニール・アームストロング船長のことを書きました。8月25日、82歳で彼の魂がふたたび地球を離れて、天に召されていったからです。

 今回は、もうひとりのアームストロングについて書きたいと思います。ランス・アームストロング、40歳。初めて月を歩いた英雄の死が伝えられる前日に、こちらのアメリカン・ヒーローに科された「厳罰」のニュース――「全タイトル剥奪、自転車競技からの永久追放」もまた、計り知れない衝撃がありました。

 史上最年少の21歳という若さで世界自転車選手権に優勝。その後も着実にトップレーサーの道を突き進んでいたアームストロングが、睾丸がんを発病。それが脳と肺にも転移していると判明したのは、1996年、25歳の時でした。「生存率3パーセント」という最悪の状態にもかかわらず、3度の手術、3ヵ月にわたる化学療法による壮絶な闘病生活を乗り越え、やがて第一線への復帰をめざします。そして3年後の1999年、自転車競技の最高峰であるツール・ド・フランスを初制覇すると、そこから前人未到のツール7連覇を達成、まさに奇跡をなし遂げます。一方で、がんコミュニティの一員として「ランス・アームストロング基金」を設立し、がん撲滅のための活動にも力を尽くします。2004年に発売した黄色いリストバンドが世界的な反響を巻き起こしたことは、よく知られている通りです。

 その彼が、米国反ドーピング機関(USADA)から、ドーピング(禁止薬物使用)違反に問われ、ツール・ド・フランス7連覇を含む98年8月1日からの全タイトル抹消と自転車競技からの永久追放処分を言い渡されたのです。これまで容疑に対して一貫して潔白を主張してきたアームストロングでしたが、8月23日、USADAの告発に対して異議申し立てを放棄するとの声明を発表しました。それによると、「過去数年におよぶ魔女狩りにあい、家族や基金の仕事に支障がもたらされた。もう十分だ。これ以上、無実を主張して争う代わりに、この馬鹿げた騒動から手を引くことにした」という判断です。

 真相は分かりません。アームストロングには、これまで元チームメイトや関係者などの証言でドーピング疑惑がつきまとっていたことは確かですが、彼自身は「いままで500回以上検査を受けたが、一度も陽性反応が出ていない」と反論。物的証拠はなく、違反は認められないままでした。ところが、調査を続けていたUSADAが今年6月に、アームストロングとチーム関係者を告発。アームストロングは米連邦地裁に告発の取り下げを申し立てますが、7月に棄却。そこで、裁判で争ってもムダだと結論を下し、上記の声明となった模様です。USADAは「反論を止めたことは告発を認めたということだ」との見解を発表し、異例とも思われる過酷な処分を決定したという次第です。今後は、USADAの上部団体である世界反ドーピング機関(WADA)や国際自転車連合(UCI)がどういう判断を示すかが気になるところです。スポーツ仲裁裁判所(CAS)に是非が委ねられるという可能性も大きいと思われます。

 ともあれ、自転車の世界に限らず、陸上競技、あるいは米大リーグ野球(MLB)などでこの種のスキャンダルが出る度に、何ともやりきれない思いがこみ上げます。「アームストロングよ、お前もか」と叫びたくなるほどです。本当に潔白であるならば、なぜ無実を勝ち取るまで闘わないのか。どんな苦境にあっても「決してあきらめないこと、外見は気にせずただ歯を食いしばってゴールまで突き進んでいく」のがアームストロング流ではなかったか、という無念さが先立つからです。

 しかしその一方で、この“処分”に割り切れなさがつきまとうのも事実です。ツール・ド・フランス初優勝の時点から、いやそのレースの最中から、アームストロングに対しては明らかに敵対的な“疑惑”の眼差しが注がれていたからです。カムバック不可能と思われていた選手が、あまりに早くがんのダメージから立ち直り、なおかつ無敵の強さを示したがゆえに、でした。2000年に刊行されたこの自伝の中でも、そのことがさんざん書かれているのです。

 周知のように、ツール・ド・フランスで最も過酷なステージは、レース中盤に組まれているアルプス越えです。1999年の大会11日目、第9ステージはフランス、イタリア国境の山を走る215キロの上りコースでした。ここまで総合タイムのトップを走ってきたアームストロングですが、山岳は苦手という定評があり、おそらくここでつぶれるだろうと誰もが予想していました。ところが、そのアームストロングが驚異の快走を見せ、ステージ優勝を果たすのです。そこから、場外のバトルが始まりました。折りしも、前回大会でかつてないドーピング問題が噴出し、その余波が尾を引いているタイミングでした。

〈アルプスに入って、僕に新たな敵ができた。僕の上りでのこれまでより格段に良くなった技術が、いまだに昨年夏以来、薬物スキャンダルの血の臭いをかぎまわっている、フランス・マスコミの疑惑を招いたのだ。ひそやかなうわさ話が始まった。「アームストロングは何かやってるに違いない」。レキップ紙やルモンド紙にも、正面切ってではないが、僕のカムバックは少々奇跡的すぎる、とあてこする記事が出た〉

 がんの化学療法がアームストロングの快走に何らかの役割を及ぼしているのではないか。治療中に「何か能力を増強させる秘薬を与えられたのではないか」という疑惑が向けられたのです。

〈理解できなかった。癌治療が僕のレースにプラスになったなどと、なぜたとえ一瞬でも考えられるのだろう。おそらく治療の過酷さは、癌患者にしかわからないのだろう。三ヵ月というもの、その強い有毒性で知られる物質は、毎日僕を痛めつけた。僕は治療から三年たった今でも、体内に毒を感じており、完全に排出されていないという気がする。
 僕には隠しだてすることは何もなかったし、薬物検査はそれを証明してくれた。ツール主催者が薬物検査をする選手をランダムに選ぶとき、僕のチームからはいつも僕が選ばれるのは偶然とは思えなかった。……だが今回は、薬物検査は僕の味方となった。なぜなら僕が汚染されていないことを証明してくれたからだ。僕は検査を受け、陰性とされ、また検査された〉

 その後もマスコミの絶え間ない攻撃にさらされ、アームストロングはレースへの集中を妨げられます。「一所懸命努力し、再び自転車に乗るために大きな犠牲を払った」というのに、その苦労は報われないのか、と彼は怒ります。

 そして気づきます。薬物疑惑を持ち出してきた連中は、自分が病気の時に、「彼はもう終わった。二度とレースに出ることはないだろう」と喧伝していた人たちであり、カムバックしようとした際には、「彼にチャンスはやらない。どうせ大したものにはならない」と言っていた人たちだ、ということに。いま自分がツール・ド・フランスをリードし、総合優勝に近づきつつある姿を目の当たりにして、またしても「おかしいぞ。何か裏がありそうだ」と、否定論者の本音をむき出しにしてきたのだ、と。

 こうして自転車の上の戦いだけでなく、自転車を降りてもマスコミの集中砲火に満身創痍となりながらも、彼はついに総合タイム1位の選手が身にまとう栄誉あるマイヨ・ジョーヌ(黄色いジャージ)を他の誰に手渡すこともなく、大会最終日、パリのシャンゼリゼに凱旋してきます。7月3日にスタートして25日までの約3週間。総距離約4000キロの過酷なレースを走り抜け、ついにフィニッシュラインを1位で通過するのです。

 ツール・ド・フランスがいかにタフな試練であるかを多少とも知っていれば、病を克服してこの勝利を手にすることがどれほどの価値であるか、想像がつくというものです。それまで自転車競技にさほどの期待も注目もしてこなかったアメリカ本土でも、アームストロングの快挙は大々的なニュースとなりました。

 しかし、何といっても本書を感動的にしているのは、アームストロングが病気と真正面から向き合い、肉体的にも精神的にも劇的な回復を遂げていく過程です。「僕は哲学的にならざるを得なかった。この病気は僕に、人間としての自己を問い、これまでとは違った価値観を見いだすことをしいたのだ」。

 競技人生だけでなく、命を失うかもしれない病を得たことによって、彼は人間的に大きな成長を遂げます。そして病を克服することによって、彼は競技の外の世界にも、個人を超えた大きな目的の存在にも目を開かれていくのです。同様に、自転車選手としても新たな境地に達します。それまでワンデー・レーサーとしては抜きん出ていたアームストロングですが、3週間のステージ・レースで優勝を争える選手になりました。それは単なるカムバックではありません。選手として明らかに、異次元への進化を遂げたことを意味しているのです。

〈本当の話、ツール・ド・フランスでの優勝と癌のどちらを選ぶか、と訊かれたら、僕は癌を選ぶ。奇妙に聞こえるかも知れないが、僕はツール・ド・フランス優勝者といわれるよりは、癌生還者の肩書きの方を選ぶ。それは癌が、人間として、男として、夫として、息子として、父親としての僕に、かけがえのないものを与えてくれたからだ。
 パリでフィニッシュラインを越えてから数日というもの、僕は注目の嵐に巻き込まれた。その中で、なぜ僕の勝利がこれほど人々に大きな影響を与えるのかを、客観的に考えてみようとした。たぶん、病気が普遍的なものだからだろう。僕たちはみんな病気になったことがあるし、病気から逃れられる人はいない。だから僕のツールでの勝利は、一種の象徴なのだ。癌を乗り越えることができるだけでなく、そのあとでもっとより良い実を結ぶことができるという証拠なのだ。おそらく、友人のフィル・ナイトが言ったように、僕は「希望」なのだ〉

 USADAによる「厳罰処分決定」というショッキングなニュースを知らされた後に、本書を久々に手に取りました。しかし、以前と少しも変わることなく、言葉は力強く、胸を打ちました。彼の周りには、闘病中も絶えず病床を見舞い、励まし続けた監督やチームメイト、友人、医師や看護婦がいました。彼を絶えず支えてきた母がいて、カムバックへの道のりには妻が“伴走者”として付き添っていました。ツール優勝の感想を求められた母親は述べています。「ランスの人生はいつも、勝ち目のない戦いを戦うことでした」。

 そしてアームストロング自身もこう語っています。

〈病気が僕に教えてくれたことの中で、確信をもって言えることがある。それは、僕たちは自分が思っているより、ずっとすばらしい人間だということだ。危機に陥らなければ現れないような、自分でも意識していないような能力があるのだ。それは僕の運動選手としての経験でも得られなかったものだ。
 だからもし、癌のような苦痛に満ちた体験に目的があるとしたら、こういうことだと思う。それは僕たちを向上させるためのものなのだ〉

 本書の言葉が、今後も輝きを失わないでいてほしいと願わずにはいられません。

「考える人」編集長 河野通和(こうのみちかず)

2011年5月5日木曜日

地震、経済、電力、発想を豊かに!

日本は今回の地震で、ボディブロー的にジワジワと経済的な打撃を受け、厳しい時が続くだろう。だからこそ、それを正面から見据えて経済活動に取り組まなければならない。

特に今年の夏は、原発の停止により、電力供給が不足し、経済の中心である東京を含む地域が生活への影響を受けることになる。それが消費活動にも影響を及ぼすかもしれない。発想の転換で、新しいビジネスを生み出すチャンスでもある。

自然の脅威のパワーで破壊された東北地方の復興には、この悲しみを忘れてしまうほどの年月が必要になるだろう。だけど、これを地方の在り方を見直す機会と捉え、復興ではなく新しい産業の創世にあてるべきだと思う。余談かもしれないが、イタリアはファッション、家具はミラノ、革製品はフィレンツェ、車(フィアット)はミラノなど、地方が産業の中心となり、首都のローマを経由せずに海外と直接繋がっている。これは一つのヒントになるのではないか。

電力エネルギーの見直しは、何か一つに絞るのではなく、ベストミックス型を目指すべきだ。太陽光や風力を活かした良く知られた電力もあるが、天然ガスや地熱やバイオマスといった選択肢が他にもいろいろある。一般の日本人が知らないところで、海外の自然エネルギーは日本のメーカーの技術が活用されている。それを日本に活用しないでどうする!

「問われる日本のエネルギー将来像」(WSJ日本版)


海の向こう、中東、北アフリカでは遂に独裁に対する反逆の狼煙が上がった。近い将来アフリカの時代が訪れるだろう。どんな新しい仕組みが出来上がるのか楽しみだ。もちろん現代の欧米先進国型の資本主義に変わる新しい経済システムを期待する。FacebookやTwitterなどのソーシャルメディアが活用されているのは象徴的なポイントかもしれない。アフリカの文化が世界に広まるのもワクワクするほど楽しみだ。西洋的な音楽ばかりでは辟易してしまうのは僕だけだろうか。僕はアフリカの鼓動のようなリズムに惹かれる。

情報インフラとしての側面が大きいけど、インターネットの発達は、従来の資本主義を破壊する可能性を秘めていると感じている。大衆はマスの情報に支配される世界から解き放たれ始めた。個々が知りたい情報をいつでも自由に得られる世界。それは、全く新しい時代だ。それと共に膨大な情報から自分にとって重要で必要な情報を見極める能力が求められる。グローバリゼーションという言葉の定義も変わっていくのだろう。物理的な位置に縛られない、経済活動と考え方のグローバリゼーション。またそれとは相反するように地域に根差した活動は活発になるだろう。一極集中の意味が無くなるからだ。個々が自分の心に従って生きやすくなる世界、理想的な世界じゃなかろうか!

2011年4月17日日曜日

電子書籍の行方

結局、インターネット上の情報との差がポイントになってくる。

適したデバイス、オフラインで読めること、
人間の頭で整理しやすいパッケージになっていること。

インターネット上の情報(ex.ブログ)と異なる点

・パッケージであること
・自分の所有物であること(部分マーキング、個人DB化、個人書庫としての整理)
・オフラインでも読めること

と言っても、ブログ記事をキャプチャしてしまえばほぼ同じことは出来るのだが。。

オフラインで読める事は条件であって、通常はオンラインで、分からない単語が調べられたり、
自分のオンライン上のメモ、例えばEvernoteなどと連携できる事も求められるだろう。
TwitterやFacebookで仲間に共有することも。

今後電子書籍が普及するかどうかは、軽くて、操作にストレスを感じさせない
デバイスの登場が最も重要なキーになるはず。
操作性=直感的なナビゲーションも重要。
先日触ったWIREDも、操作性ではもう一つ足りない。

紙の本が少なくなれば選択肢として、電子書籍が選ばれることになる。
デバイスの進化と共に近いうちにその大逆転が起こるだろう。

本好きには寂しい話だが、書店は減っていく。
紙の本は貴重なものとなるのだろう。

2011年3月20日日曜日

上を向いて歩いて行こう

春が近づき、今日も穏やかな日差しに包まれている。
何ごともない平凡な日々ならば、こんな日はリラックスしてドライブや食事に出かけ、
日が沈むことを残念に思ったことだろう。

僕が住む横浜はほとんど被害もなく、ほぼ平常の生活を営むことが出来ている。
今のところ家にいるときに停電にも見舞われていない。

僕が浪人時代を過ごした仙台は惨事に見舞われ、太平洋側の東北各県は
とても言葉で言い尽くす事の出来ない状況にある。
すぐ近く、山形の実家や鹿嶋の奥さんの実家は停電だけで済んでいる。
それが僕の心にとってせめてもの救いだ。。

助かった人たちが一刻も早く、前に歩き出すことが出来るよう、
僕たちはそれぞれに出来る役割を果たし、これまで以上に頑張らなくちゃならない。
そして、元気のない日本をもう一度立ち上がらせるべきだ。

直前に起こったニュージーランド地震で被害に合った方もいる。
リビアの情勢は益々悪化の途を辿っている。
シリアでも遂に民衆が動き出した。
こうしている間も、世界は動いている。

僕たちは、立ち止まることが出来ないのだ。

2011年2月27日日曜日

ヒア アフター 〜死を乗り越えて未来へ

クリント・イーストウッドのヒア アフターを鑑賞。
※ネタばれあり


この映画は三つの物語が同時並列的に展開、クライマックスで交錯することになる。
以下三つの物語について。

先ずは冒頭の迫力のあるリアルな津波のシーンで一気に映画の中に引き込まれる。
そして、主人公の一人マリーが自身の経験を通して死と向き合っていくこの物語の軸が、
その映像のインパクト共に強く意識させられる。
この時点では、手をつなぐという行為が、一際重要な意味を持つ事にまだ気がつく事はない。

マーカスとジェイソンの双子の兄弟は、明るいお兄さんと引っ込み思案の弟という
対比でその性格を印象づけ、その後のマーカスの存在をうまく演出している。
その悲劇ゆえに。

ジョージはその登場からすぐに、過去を抱える男であることが見て取れるのだが、
それは影で表現されていて、自然にそれと捉えられる。これもまた巧い。
そして、その影の元となる特殊能力は、手をつなぐという行為にリンクしている。


三者三様、一見何の関わりもない物語が何らかの形の“死”でリンクしている。
死をどのように受け止め、どのように向き合うか、
それがこの映画のテーマであり問いかけだ。
霊能力が取り上げられているが、それは主たるテーマではない。

ほとんどの人間が悲しいものとして捉える人の死、
そこには何かしらの後悔や、生きていく上で背負っていくものが含まれ、
それらとどう向き合うべきか、ビターな問題提起がある。
僕はまだ自分の心に大きな影を落とす死に直面したことがない。
ゆえに、残念ながらこの問題提起に対しての実感的な解は持たない。
その悲しみや重さを想像するだけだ。

劇中、印象に残ったジョージの言葉がある。
「全て見(え)ない方が良い場合もある」
見たくなくとも全て見えてしまうジョージの苦悩を表現した言葉だが、
人と人の繋がりにおける示唆を含んでいると解釈した。
死は無ではなく、見えなくなること。

ジョージの能力を引き出す“手をつなぐ”という象徴的な行為は
まさに人と人の心の交流のメタファーだと感じた。
そして劇中、印象的なシーンで“手がつながれる”。
最後に用意された美しい瞬間に僕の涙腺は緩んでしまった。。


死を題材としながら、イーストウッドが訴えかけるメッセージは、
人との繋がりを大事にして前を見据えて“生きる”ということだ。
hereafterは来世と訳されることもあるが、
この映画の意味するものは未来だろう。
僕はそう受け止める。


ヒア アフター

2011年1月9日日曜日

スマートフォンは誰のためのもの

スマートフォンという言葉が巷に飛び交っているが、
その周りのビジネスも含め、語られる論調にどうも違和感を覚えている。

スマートフォンは確かに便利だけど、都市部で生活しているから便利なだけであって、
田舎での生活にはそれほど役に立たないと思うのだ。
決定的な違いは移動手段が電車か車かという点。
都会生活では意外と移動時間が長く、JRや私鉄、地下鉄網が整備されているため、
それらを利用する事が多く、目的地に着いてからの歩く距離もそれなりにある。
そんな生活スタイルの中でスマートフォンの機能は多いに役に立つのだが、
田舎では車で目的地まで移動する生活スタイルで、都会の人ほど歩かない。
移動しながら何かを調べるのではなく、移動する前に調べなくてはならない。
何もこの1点だけで全てがそうであるとは言えないとは思うのだが、
移動しながら調べるか移動する前に調べるのか、この違いは大きいと思う。

まあ、スマートフォン的なツールで言えば、タブレットPCがあれば便利だろう。
家で調べてそれをそのまま持って行けば良い。車の移動だからポケットに入るサイズである
必要はなく、iPadぐらいのサイズであれば何の問題もない。

田舎の生活では、せいぜい電話とメール、写真が撮れればいい。実際ほとんどの人がそうだ。
それは自分が田舎の生活も都会の生活も知っているから、そう言える。

それから、都会であっても主婦や子供、老人にとってはスマートフォンは
機能/情報過多に違いないだろう。ガジェット好きや新しいモノ好きの人は別として。

僕はiPhoneもiPadも持っていて、この都会生活の中で多いに活用しているが、
最近よく名前を聞くような名のあるジャーナリストが語っている内容にはどうも違和感を覚える。
それはあくまでも都市部の生活で成り立つことを語っていて、“日本”にあてはまる
内容ではないからだ。



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2010年12月27日月曜日

シチリア!シチリア! トルナトーレ監督の集大成的な作品

シチリア!シチリア!

一言で現せば、人生讃歌の集大成的な映画だった。

トルナトーレ監督の想いがたくさん詰まっていて、
溢れんばかりの感情が随所に感じられた。

子供の頃はよく走った。世界はそれだけ広かった。
大人にからかわれて、嘘だと思ってもどこかそれを信じていた。
青年期の甘い思い出。
自分の想い描いた理想の自分像と、現実。
全部詰まっている。

当然、いつものごとく映画への愛を感じられるオマージュが盛り込まれ、
健全なエロティックシーン(笑)も用意されている。
だけど、何気ないシーンの美しさは挙げれば切りがない。

全体的にとてもテンポが良く、時間の長さを感じなかった。
監督の編集の巧さを感じるとともに、
今更ながら、それは映画という創作物にとって重要なファクターだと気付いた。

長く記憶に残る映画になったと思う。
 

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